はじめに
はじめまして。私は現在30代前半の男性です。私は生まれてから23歳まで、吃音(きつおん)という言葉が出にくい症状と共に生きてきました。このブログでは、そんな私が歩んできた「話しづらい世界」についてお伝えします。吃音という症状を、少しでも多くの方に知っていただければ幸いです。
吃音(きつおん)とは?
吃音とは、言葉をスムーズに発することが難しくなる症状の総称です。私は特に「最初の一言」が出にくく、それが出てしまえばある程度は流暢に話せるという状態でした。人によって症状や度合いは異なりますが、周囲の理解があるかどうかで精神的な負担は大きく変わります。
小学校時代の経験
初めて言葉が出なくなった瞬間
- 小学一年生で初めて学校に通い、知らない人と関わるプレッシャーが原因だったのか、急に言葉が出なくなりました。家でも学校でも、最初の言葉が詰まってしまうのです。
- 母親は私を定期的に精神科の病院へ通わせ、カウンセリングのような形で様子を見てもらっていました。そこではスタッフのお姉さんと話をするのですが、最初の一言が出なくて「え…え…っと、い、今絵を描いてる」と、何とか伝える日々でした。
言葉が出やすくなる“おまじない”
- 太ももを叩くと少しスラスラ言葉が出るような気がして、よく叩いていました。自分なりに編み出した方法のひとつです。
国語の本読みの苦痛
- 小学生の頃、国語の授業の音読が最も苦痛でした。
- なぜなら、順番が前からどんどん回ってくるため、読まされる直前から心臓はドキドキ、手汗もびっしょり。
- 「あと3人で自分の番が来る…」という恐怖で、読む前から胸が苦しくなったのを今でも覚えています。
いじめと救い
- 陰湿ないじめに遭ったこともありますが、いわゆる“陽キャ”と言われるような友人たちが守ってくれたため、酷い状況には至りませんでした。
- 足が速かったこともあり、休み時間の鬼ごっこに誘われるなど、周囲との関わりがゼロではなかったのが救いでした。
同じ吃音仲間の存在
- 小学1年生のときに、隣のクラスに同じように言葉が出にくい子がいたことで、「自分だけじゃない」と精神的に楽になりました。
- 小学3年生のときに同じクラスになり、さらに安心して学校に通えるようになったのを覚えています。
のびのびルーム(放課後児童クラブ)での孤立
- 小学1~3年生までは、放課後はのびのびルーム(放課後児童クラブ)に通っていました。そこでは友達ができず、いつもひとりで遊んでいました。
- 小学4年生以降は放課後はすぐ家に帰り、一人でゲームをして過ごす日々が増えました。
心が壊れた国語の授業
- 小学5年生のときの担任は吃音に理解がなく、国語の音読で上手く読めない私に対して「みんなの時間を奪うな」「規律を乱すな」などの暴言を投げかけました。
- それがきっかけで私の中で何かが壊れ、「心は要らない」と自分を閉ざすように。笑わないし感情も表に出さない自分が形成されました。
- 母親が学校へ相談してくれ、その後、暴言は止みましたが、一度壊れた心はなかなか戻らなかったです。
友人に守られたエピソード
- ある日の全校集会で誰かに足を引っ掛けられ、たまたま女子の胸に手が当たってしまった出来事がありました。
- 次の日に教室に行けずにいたところ、“陽キャ”の友人が「黒板にデカデカと書かれていたけど消しておいた。やった奴に注意しておいたから安心しろ」と伝えてくれました。
- 「あ、あ、あ、ありがとう」と、たどたどしくもお礼を言えたのが嬉しかったです。自分が守られているのだと実感できた瞬間でした。
小学校卒業前の心境
- 小学6年生になると吃音がある生活にも少し慣れ、学校生活もそこまで悪くないと思えるようになりました。
- しかし、中学へ進学するときに転校することが決まっており、「次の学校も穏やかに過ごせたらいいな…」と思いながら、小学生としての残りの学校生活を送りました。
中学時代の経験
引っ越しと新たな不安
- 中学生からは引っ越し先の新しい学校に通うことになり、また一から環境を作らなくてはいけない不安が大きかったです。
- 友達を作るには会話が必要ですが、やはり自分から話しかけることができず苦労しました。
部活への誘いと人とのつながり
- クラスの男性から「一緒に部活をしよう」と声をかけてもらったときは素直に嬉しかったです。吃音があってもうまく話せない私を誘ってくれたことが救いでした。
授業での苦痛は相変わらず
- 中学でも先生に当てられると上手く言葉が出ず、周囲の視線が気になって仕方ありませんでした。
- しかし、不思議と音楽の合唱では声がスラッと出るので、音楽の授業だけは少し気持ちが楽でした。
高校時代:少しマシになった吃音
- 高校に入る頃から、吃音の症状が少しだけマシになり、たどたどしいながらも会話らしくやり取りできるように。
- 「あ、あ、あ…」と数回詰まりながらも、何とか言いたいことを伝えられるレベルまで改善しました。
吃音がもたらす心の変化
- 一番辛かったのは小学生時代で、人間関係もコミュニティも狭く、逃げ場がなかったことが大きいと思います。
- しかし、同じ境遇の友人や周囲に守ってくれる人がいたことで、完全に孤立することは避けられました。
- 病院でのカウンセリングや、母親のサポートもあり、心が完全に折れずに過ごせたのだと今では思っています。
まとめ
- 私が23歳まで体験してきた吃音は、「一度言葉が出ない」と感じると、その不安と緊張で余計に話せなくなる症状でした。
- 小学生から高校まで、学校生活での音読や発表は大きなプレッシャーでしたが、周囲の支えによって深刻な状態にならずに済みました。
- 同じように吃音で悩んでいる方がいるならば、決して自分が一人だと思わず、周囲の理解やサポートを求めることが大切だと感じています。
この記事が、吃音という症状やその生きづらさを少しでも多くの方に知っていただくきっかけになれば幸いです。もし同じような経験をお持ちの方や、家族や友人に吃音の方がいる方は、ぜひコメントなどで情報共有していただけると嬉しいです。
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