吃音と19年間の葛藤|言葉にできない苦しみと向き合った日々

夜の静かな部屋でノートに日記を書く男性のイラスト。月明かりの下、言葉にできなかった想いを綴る姿が描かれている。 Uncategorized
吃音と共に生きた19年間の体験談。言葉が詰まる苦しみと、乗り越えた先に見えた希望を綴る。

1. はじめに|吃音に悩んでいるあなたへ

私は23歳まで、言葉が詰まることに苦しみながら、なんとか日々を乗り越えてきました。
このブログを書こうと思ったのは、「同じ悩みを持つ方に、少しでも希望を感じてもらえたら」 という気持ちがあるからです。

こんな方に読んでほしい:

  • 吃音に悩んでいる人
  • 言葉の詰まりで生きづらさを感じている人
  • 周囲に吃音のある人がいて理解を深めたい人

2. 吃音とは?基本的な症状と原因

吃音は主に「連発」「伸発」「難発」などの種類がありますが、私の場合は「連発型」が強く出ていました。
たとえば「え、え、え、え〜と」のように、言葉の始まりを何度も繰り返してしまいます。

症状が出始めた頃

小学1年生のある日、急に言葉が出なくなりました。学校の友達や先生、さらには両親にすら話しづらくなり、気づけば心を閉ざすようになっていました。

原因・きっかけ

両親や先生は、「兄弟喧嘩でのストレスが原因かもしれない」 と言っていましたが、はっきりと断定はできません。ただ、この頃から毎日が息苦しく、孤独を深めていったのを覚えています。


3. 幼少期〜学生時代:言葉が出ない恐怖と孤独

小学校での辛いエピソード

国語の授業がとにかく苦痛でした。順番に当てられるたび、胸が高鳴って汗ばみ、いざ自分の番になると声が出ない。「喋る前からすでに辛い」 という状態でした。

周りとの距離

周囲は普通にできるのに、自分だけが当たり前に話せない——そのコンプレックスから、人と関わることが怖くなりました。
「どうせ話せないなら、はじめから話さないでおこう」
そう思うようになり、私の心の中には「話す自分」「話さない自分」の2人が存在していた気がします。

友達関係と孤独

学校で一緒に遊ぶ友達はいても、放課後に誘い合う仲間はいませんでした。
自分の言葉が思い通りにならない frustration と、自己否定感が常に付きまとい、「普通に話せない自分はダメだ」 と責め続けていました。


4. 中学・高校時代:隠す努力と限界

話さないことで自分を守る

クラスメイトとは必要最低限のやり取りだけ。休み時間に一人でいるといじめの対象になりそうなのでグループには所属するものの、自分からはほとんど話さず、なんとかやり過ごしていました。

言葉選びへの過剰な意識

「ここでこの言葉を言うと詰まってしまうかも…」という不安から、言い回しを必死で変えるものの、うまく伝わらないもどかしさに苛立つ日々。

誰にも相談できなかった理由

当時はまだネットも普及しておらず、「吃音」という言葉すら知らない状態。
ただ自分が「話せない」という現実だけがのしかかり、「一生このままなのかもしれない」「誰に相談しても変わらない」 と諦めてしまっていました。

限界を感じた瞬間

日常会話だけでなく、就職や進学のための面接が何よりも恐怖でした。
先生が練習に付き合ってくれても、言葉が出ない自分が情けなくて、右太ももを叩き続けてどうにか声を出そうとする——。そんな自分が嫌で仕方ありませんでした。


5. 吃音と本気で向き合ったきっかけ

高校時代の一冊の本

図書館で何気なく手に取った喜多川泰さんの『手紙屋』 という小説が、私の人生を大きく変えました。
「まずは行動してみよう」というメッセージに背中を押され、日記を書き始めたのです。

  • 今日は喋れたとき、どんな気持ちだったか
  • 今日は喋れなかったとき、何が原因だったか

こうやって振り返るうちに、「無意識で話している時は詰まりにくい」 と気づき、少しだけ希望を感じられました。

彼女が欲しい気持ちが勇気をくれた

社会人になってから「彼女が欲しい!」という思いで、思い切って合コンへ。2万円しかない中で5,000円を使うからには、一言も話せず終わりたくない——その必死さが、言葉を出す原動力になりました。

「吃音をなくす」から「共に生きる」へ

27歳以前の私は、吃音が出ないように常に身構えていました。しかし、工場勤務で人との会話が減り、心に少しゆとりが生まれたことで、「吃音も個性かもしれない」 と考えられるようになりました。苦しい時期が長かったからこそ、こう思えたのかもしれません。


6. 私が実践した克服・向き合い方

特別な発声練習はしなかった

実は呼吸法や発声練習は特にしていません。右太ももを叩きながら言葉を紡ぎ出すくらいでした。

吃音であることを公言しないまま

吃音があると伝えたら、馬鹿にされるのではないか。そう思って、これまで自分から「吃音持ちです」と話したことはありませんでした。

マインドセットの変化

「吃音は個性」と思いはじめてから、不思議と心が楽になりました。以前のように自分を責め続けることが減り、気持ちに少しだけ余裕が生まれました。

失敗したら早めに寝る

言葉が出ずに失敗してしまう日は、どうしても落ち込んでしまいます。そんな時は早めに布団に入り、眠ってしまうことが私のリセット方法でした。


7. 今振り返って思うこと

吃音は「消すべきもの」ではなく「自分の一部」

『嫌われる勇気』で、赤面症が告白を避ける理由に使われている話を読み、同じように吃音も自分を守るための仕組みなのかもしれない と思うようになりました。

完治を目指さなくてもいい

かつては「治らなきゃ生きていけない」と思っていましたが、そうではありませんでした。完治しなくても大丈夫だと認めた時、ようやく肩の力が抜けて、「今の自分」として生きやすくなりました。

19年間の葛藤が無駄じゃなかった瞬間

SNSで「吃音グループ」を見つけ、オフ会に参加した時のこと。怖さもありましたが、同年代の人たちと話すうちに、「吃音のままでも理解してくれる仲間はいるんだ」 と感じられたのは、大きな収穫でした。


8. 同じ悩みを抱えている人へのメッセージ

「苦しい時は逃げていい」

吃音が辛くて、何もしたくない時期は無理しなくて大丈夫。私は会話も仕事も逃げながらなんとか生き延びてきました。
大切なのは、「吃音を責めないであげること」。吃音を友達のように捉えて、一緒に生きていくスタンスもアリだと思います。

「あなたの価値は言葉だけで決まらない」

話せなくても、仕事で結果を出すことや自分らしく生きることは可能です。特にネットやチャットで完結する環境では、吃音のハンデを感じにくい場面も増えてきています。

どうしても辛い時は行政や医療機関を頼ろう

私は精神科に通い、薬の力を借りた時期もありました。行政の障がい福祉課で相談し、生活面のサポートを受けたこともあります。「助けを求めること」は、何も恥ずかしいことではありません。


9. サポート情報

  • 役所の障がい福祉課:生活サポートや福祉サービスの提供が受けられます
  • 精神科・心療内科:カウンセリングや投薬治療も検討できます
  • SNSやコミュニティサイト:吃音を持つ人たちとつながり、情報交換ができます

10. まとめ|吃音と19年向き合って得たもの

私が辿り着いた答え

19年間、吃音を憎んできました。しかし、「共に生きる」 と決めてから気持ちが少し軽くなりました。

  • 苦しい時は、行政サービスや医療機関の力を借りる
  • ネットやチャットなど、吃音の負担が少ない方法を選ぶ
  • 同じ悩みを持つ仲間と出会えば、孤独は和らぐ

最後に、あなたへ問いかけたい

あなたは今、自分の声とどう向き合っていますか? そして、これからの未来でどんな関係を築いていきたいですか?

私は19年間、吃音を克服することだけを目指してきましたが、最終的には「共に生きる」 決断をしました。そこからは気持ちがラクになり、同じ境遇の仲間と出会い、行政や精神科のサポートを得ながら自分らしい生き方を見つけました。言葉が詰まっても、それが私の価値を否定する理由にはならない
——そう思えるようになったのです。あなたもどうか、自分の声を責めずに受け入れてあげてください。

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